
◆2005年10月19日 サンデー時評:「結婚を愛で計らず、経済力で計る」
サンデー時評:「結婚を愛で計らず、経済力で計る」 【MSN-Mainichi INTERACTIVE】
〈少子高齢化〉
という言い方が気に入らない、とかねがね思っていた。困ったことの代名詞になっている。出生率が低下する一方で高齢者が増える、この人口構成のアンバランスが、国の将来に不安を宿しているのは間違いない。
しかし、少子化と高齢化が一つの単語みたいにひっついているのは納得できない。少子化対策は二十一世紀最大の難問になりそうだが、高齢社会がふくらむのは喜ばしいことである。年寄りが増えるのを迷惑がる向きもあるが、いずれ自分たちもそうなるのを忘れないことだ。
さて、少子化である。内閣府が今年二月から三月にかけて、都市部に住む子育て世代の母親四〇〇〇人を対象に実施した面接による意識調査(回答は二二六〇人)の結果が先日発表された。
少子化対策として何が重要か、という設問(複数回答)で、もっとも多い回答が〈保育・教育、医療費への補助など経済的支援〉の七〇%だったという。保育所の充実(三九%)、育児休業(三八%)、再就職支援(三六%)などよりはるかに高率である。
六年前の同じ調査では、共働き夫婦の職場環境整備などが〈経済的支援〉を上回っていた。この変化の理由は何か。内閣府は、子育てに必要な所得のない夫婦が増えていることが、〈経済的支援〉を求める声につながった、と分析している。
しかし、そんな単純な話だろうか。調査対象は二十歳から四十九歳までの子持ちの母親だ。支援さえあれば、さらに一人か二人子どもを増やすのが可能、という理屈になるが、どうもすっきりしない。育児にお金がかかるのは当然だが、〈経済的支援〉が出産の決意につながるというところにひっかかる。かつては、
「子育ては一人も二人もいっしょよ」
とか、
「貧乏人の子だくさん」
と言われた。私の母は八人産んだ。戦前の富国強兵、産めよ増やせよ、の国策がまかり通った多産時代のことだから、いまと同列に論じられないのは言うまでもない。
しかし、子育ての心意気のようなものは伝わってくる。貧乏所帯でも産めばなんとかなる、子は家の宝、といった育児に対する陽気で能動的な思想だ。
ところが、戦後、生活は楽になったのに、子育ては、
「大変だ」
のひと言に閉じ込められた。環境の激変が背景にある。核家族化、学歴社会、女性の職場進出など、〈子どもを産み、育てにくい社会〉になっているのは確かだ。しかし、それだけだろうか。
◇少子化で老・壮・青・子のバランスが崩れるのは国難
作家の瀬戸内寂聴さんは、還暦を迎えた戦後日本がどうしてこんないびつな年の取り方をしてしまったのか、と慨嘆しながら、
〈強くなったのは女ばかりで、経済力を持つようになった若い女たちは、結婚の相手を選ぶとき、相手の経済力をまず計算し、自分よりそれが低いと、もう相手にしない。
結婚を愛で計らず、経済力で計るから、結婚の対象はなくなり、ひとりで働いて、海外旅行を愉しみ、ブランド商品で身を飾ることが格好いいと思っているから、子どもを産む年齢を見過ごしてしまうようになる。
今更、「負け犬」だなどと騒いでみても、やっぱり心の底では、結婚していまの自由さと、経済的ゆとりを落とすのは厭だと思っているのではないだろうか。まして、夫の家族と暮らし、姑や小姑にいびられるなどもっての外だと思っている〉(一月九日付『毎日新聞』のコラム「時代の風」)
と書いた。女性の微妙な心理を描くことでは第一人者の瀬戸内さんの目に、戦後の女性の意識がこう映っている。晩婚化、非婚化の核心をついていると思う。つまり、〈経済〉を最優先する風潮とライフスタイルがここまできた、ということだろう。すべて利己的なのである。
男性側も、そんな女性と無理して結婚しても居心地が悪い、と憶病になり、一人暮らしの気楽さに逃げてしまう。不甲斐なくもあり、困ったことだ。
自立能力があれば、結婚しないで子どもを産み、自分だけで育てるのも一法だと、瀬戸内さんは言う。だが、婚外子は日本ではまだ一・九%なのに、スウェーデンが五六%、フランスが四四%で、年々増えつつあるという。
〈未婚の母に日本はまだ理解が少ないし、よほどの覚悟を要する〉
と瀬戸内さんはみる。
少子化にブレーキをかける抜本策は見つかりそうにない。〈少子化〉という言葉が一般に使われだしたのは、『平成四年度国民生活白書』からだから、十年ほど前である。それ以後も合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子どもの数)は減り続け、昨年はついに過去最低の一・二八九人まで落ちてしまった。
第一次ベビーブーム(一九四七年−四九年)のころの四・三二人にくらべると、隔世の感がある。九九年には少子化社会対策の議員連盟を設立、一昨年は基本法も制定し、大綱やら応援プランを次々に作ってはいるが、ほとんど効き目がない。
一つのカギは人口の都市集中との関連性である。三万人以上の都市ではすでに出生率一人を確保するのが危うい。東京の世田谷区は〇・八人を割り込んでいる。都市は女性が子どもを産みたいと思う社会状況ではない、という深刻なテーマだ。
人口減少時代を悲観してばかりいるのでなく、七〇〇〇万人とか八〇〇〇万人とか国土にあった適正人口を考えるべきだという意見もあるが、そうだとしても、老・壮・青・子のバランスが崩れるのは、やはり一種の国難である。
お金も大切だが、子育ての喜び、面白さを女性に再認識してもらうことこそ肝心だ。それと、育児にふさわしい国土計画とか、とにかく何とかしなければならない。
〈経済的支援〉もやればいい。だが、それだけでは片づかない、私たちの共同体の崩壊を招く危機がひそんでいるようで、恐ろしい。
2005年10月19日


